栴檀林

白鵬聞きました。

時にただ単に働かないアリに意義があるところではない我々は一人一人がすべて仏様に見守られているんだということが分かるわけでございます。

押して考えます。

とね京都の中で狭いところで洛中洛外何て言ってるのは私たち人間たいだけのその出来事でございまして仏様から見た時には学習もなく外も何もないんだということになります。

皆同じように平等に救われるということ全てが子供であるということでございます。

全てが子供なんだったらみんなてをとりあって子供同士仲良くやればいいじゃないのっていうことになってくるわけです。

けどもそれがなかなかできないというのが私たちのこの本は何と言いますか佐賀といえます。

たそういうものであろうかなという風に思いました。

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